教師は、憧れられる人物であれ。
教師という仕事について、そう考えています。
塾や家庭教師を依頼するとき、「この人に教わりたい」と特定の相手に教えを請うのではなく、組織のスタッフが担当する教師を決めることがあります。そうなると、どんな大人と出会うかは、運に委ねられることになります。
運に任せるのも一興かもしれません。思いがけない出会いから、何かが始まることもあるでしょう。
ただ、生徒自身が「この人の影響を受けたい」と思って、その人のもとに入門する。そういう始まり方に、教育の面白さがあると思うのです。
「何を教えてもらえるか」に加えて、「この人は何を見て、何を考えて、どう生きているのか」が気になる。その人と関わること自体が、学びになっていきます。
一方で、一般的に教師という仕事には、大人の鑑として正しくあることが求められます。倫理的であることを大切にする教師も、それを望む保護者も多いように感じます。
しかし、そのような「正しい」大人から、いったい何を学ぶというのでしょう。
いつも正しく、間違ったことをせず、お手本のように振る舞う大人が目の前にいる。そこで、正しくなれない自分ばかりを否が応でも自覚させられたら、息苦しくなってしまいませんか。
惹かれるのは、完璧な人間よりも、自分の本来性で生きている人間です。
何に心が動くのか。何を面白いと感じて、どんなふうに生きたいのか。そういう自分の内側にあるものをごまかさず、自分の人生を生きている人には、その人にしかない魅力があります。
欠点もあるし、失敗もする。それでも、自分として生きている。その姿に触れると、「こんなふうに生きてもいいのか」と、自由の風を感じるのです。
そして、「こうなりなさい」と言われなくても、勝手に目指したくなる。
憧れとは、そういうものではないでしょうか。
教師自身が自分の人生を面白く生き、その姿に触れた生徒が、自分も自分の人生を生きてみたくなる。
そんな関わりが生まれる教師でありたいと思っています。