本日は3名、4コマの授業でした。新しく教え子が一人増え、大学の志望理由書の推敲や、小論文の指導をしていくことになりました。
現代文の授業では、國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』を取り上げました。今日はそこから、豊かさについて考えてみたいと思います。
お金の使い方は、投資・消費・浪費の三つに分けられるとよく言われます。将来の利益や成長につながる支出を投資、衣食住など生活に必要な支出を消費、無駄遣いを浪費と呼ぶ分け方です。そんな説明を聞いたことがある方も多いでしょう。
この分け方だと、浪費はできるだけ減らすべきものになります。
ところが『暇と退屈の倫理学』では、浪費することが豊かさにつながると論じられています。ここで大切なのは、本の中で使われている「消費」と「浪費」が、先ほどのお金の分類とは違う意味だということです。
本でいう浪費は、必要な分を超えて、物そのものを受け取ることです。たとえば、生きるための栄養を摂るだけなら、食事はもっと簡単に済ませられます。それでも、好きな料理を選び、香りや味を楽しみながらも腹十二分目まで食べまくる。その、生きるために必要なだけでは収まらない部分に、贅沢があります。
一方、消費が求めるのは、物に付いた意味や記号です。「有名な店だから」「限定品だから」「これを持っていると特別な気がする」。物そのものより、そこに付けられた意味が欲しくなるわけです。
面白いのは、浪費には満足して止まるところがあるのに、消費にはその歯止めがないことです。どれほどおいしい料理でも、食べ続ければお腹がいっぱいになります。でも、「もっと特別なものが欲しい」という気持ちには、胃袋のような限界がありません。限定品を手に入れても、次の限定品が出れば、また欲しくなってしまいます。
こう書いていると、ちいかわの特典を欲しがっている自分が思い浮かびます。
映画を3回観に行ったのですが、特典をもらえたのは1回だけでした(第二段のシール)。第三段に至っては、配布二日目の朝に行ったのにもうない。どうなっているんだ。
もらったシールは、何かに貼ったわけでもありません。リビングに放ってあります。生活に必要かと言われたら、別になくても困りません。
それでも、もう一つシールをくれると言われたら、きっと欲しいと思うでしょう。
今あるシールを使い切ったわけでも、貼る場所が決まっているわけでもないのに、欲しい。シールとして何かに使うことより、「ちいかわの特典を手に入れること」を求めています。本の区別に当てはめれば、これはまさに消費です。
物はすでにあるのに、まだ欲しい。手に入れた物を十分に味わう前に、次の「欲しい理由」がやってきます。
そう考えると、消費社会は、物が溢れているだけの社会ではありません。物がこれだけあるのに、いつまでも「足りない」と感じさせられる社会でもあるのでしょう。買うための意味が次々と付けられ、必要のないものまで欲しくなってしまいます。
では、豊かさとは何なのでしょうか。
この本を読んで考えたのは、何かをするたびに、将来どれだけ得になるかを計算しなくてもよい余裕です。もっと生産し、もっと蓄えなければと追い立てられるばかりでなく、今ここにあるものを、必要だと思う以上に楽しめる。
おいしいものを十分に食べて、「もういらない」と言える。好きなことをたっぷり楽しんで、「今日はもういい」と思える。そうやって満たされた先に来る飽きは、悪いことばかりではありません。
もういらないと思えるほど、楽しめたということです。
たくさん飽きてきた人生は、それだけたくさん、満たされるまで楽しんできた人生なのかもしれません。そういう人生は、とても幸せだと思います。
「もういいや」ということを、人生で増やしていく。
そう考えると、飽き性な私は、案外、幸せ体質なのかもしれません。